そしてiphoneへ

携帯破損翌日。
助手に連れられ最寄りのauショップへとやってきた。
どうやら私の記憶違いだったようで
幸いなことに、分割の未払いはナシとのこと。
この時点で修理という選択肢が消え
機種変更を余儀なくされたわけだ。

見積もりよると月額料金が今より安くなるらしい。
そう、iphoneならね。

そうなってくるといろいろ話が変わってくる。
なんかよくわからないけれども、アレでしょう。
MACが必要になってくるんでしょう?

つい昨日、どこぞの祭りの会場で
大手IT企業を定年された方に
「あんな動画作れるんだから、無論MACユーザーなんだろう?」
と聞かれ、windowsユーザーであることを明かした私だが
どうやら両刀使いになる日も近そうだ。

「6は曲がるらしいよ!!」

助手は私に警告し、自分と同じiphone5sを勧めてきたが
実は機械音痴(携帯は特に)な私は
5と6の違いがよくわからず、これを一旦退けた。

店員はイチオシ商品として韓国製galaxyを勧めてきたが
どうにも胡散臭いので、これを退けた。

結局、見積もりだけ出してもらって帰ることにした。
助手が隣でプンスカしていたが
納得できないものを買うわけにもいくまい。
そもそも最新の6を勧めるならともかく
1世代前の5(しかも5sのsって何だ!?)を
勧めてくるあたりでもうよくわからない。

少なくとも助手が5s、店員がgalaxyが
オススメであることは理解できたのだが
こういう場合、機械音痴はどう感じるかというと
考えるのが嫌になって、オススメに乗っかりたくなるものだ。

しかし、私はそれでこれまでに幾度となく失敗を繰り返してきた。
店員の口車に乗せられて不要なプランに加入してしまったり
変な小道具をセットで買ってしまったり…etc

だから、今回は帰って考えることにした。
詳しい人に、アップル社の製品を仕事で使っている父に、
相談してみることにした。

「今買うならiphone6以外有り得ない。
 曲がるのは6plusで、それも一部の話。
 MACならそこにあるやつ1台使っていいよ。
 galaxyは論外。」

決着は一瞬だった。
MACを使って良いとなると、決定と言わざるを得ない。
そもそも居間にMACが2台ある時点で
ちょっぴりおかしな環境なのだが
この際そんなことはどうでもいい。
(ちなみにwindowsも2台ある)

かくして、私はiphoneユーザーとなる決心をしたのだった。


さらば携帯電話

2日目の販売もおかげ様で
私が担当していた葉物、果菜類はすべて完売となり
まつりは終了を迎えた。

同僚いわく、会場の端にいても
私の声が聞こえたそうだ。

昔はよく「腹から声を出せ」と注意されたものだが
どうやら声は通る方にいつの間にかシフトしたらしい。

台風の影響で雨が降り、風も強かった。
強風にあおられて梨の広告が空へ舞い上がったので
追いかけて捨て身でキャッチしたのだが
今日に限ってスマホを後ろのポケットに入れたことを
すっかり忘れたまま
アクロバティックでロマンチックにおしりから不時着。

バキッ!

と見事な音がして、スマホ死亡確認(1年11カ月ぶり、3回目)。
アーメン。

というわけで、2年縛りの契約が切れるまで
20日余りあるわけだが、
まぁ、別に無くてもいいでしょ、ということで
助手のモーニングコールが無いのは
非常に寂しいことだけれども
なんとかやってみようと思った次第で。


野菜の販売

野菜の売り子というものを、地元のイベントで経験する機会があった。
毎年恒例ということもあって、販売開始15分前ともなると
ブースの前には人がわんさか。

開始の幕を下ろそうにも、
押し寄せたマダムたちの腰に巻きついて
回収するに回収できず、
現場には「痛い!」「どいて!」などといった
怒号が飛び交い、混沌に混沌を極めていた。

一応作成しておいた接客マニュアルには
「2人1組で1人の対応」と書いてみたのだが
実際に始まってみるとそれは
あぁ、所詮マニュアルだな。と感じさせるほど
接客1名に対して客3名のハードルは高かった。

最初の30分はかように混沌としていたものの
盛者必衰の理をあらはすが如く
次第に落ち着いてきた。

しかし。

今度は私が担当となっている
『小松菜(1袋100円)』の明らかな販売不振問題が浮上。

原因は巨大化。
水をやり過ぎてぶくぶく太り、収穫適期を過ぎた上に
当日、こともあろうに近所のスーパーが
1袋75円を謳って販売してしまったため
売り上げが著しく伸び悩んでいたのだ。

「あっ、小松菜もあるじ!(※金沢弁)」

と手に取っていただくところまではいくのだが
その大きさを見るやポイ。
冷蔵庫にたくさんあるからいいやとポイ。

これはさすがになんとかせねば、と思い立ち
思いきって2袋100円としてみたところ
関係者がすっ飛んできて「価格破壊だ!」と指摘され
各方面から大層なお叱りを受けることとなってしまった。
んにゃー。

そして襲いかかる乾燥。
テーブルに平置きしていたので、
昼過ぎともなるともう葉がシナシナになっていた。

なんで対策してないの、と言われましても
小松菜は午前中で売り切れるだろうというのが
チームとしての見解だったもので、
私としても想定外と言わざるを得ない。
まぁ、想定が甘かったのは事実。

それでもなんとか6割を販売し
4割は…まぁ。。。アレですね。
とりあえず持ち帰って冷蔵庫入れましたケド
何らかの形で処分されるのでしょう。

はてさて、明日(最終日)はどうなることやら。


お祭り前夜

気づけば更新が1カ月以上続いておりました。
1日の訪問者の平均は
約10(1か月前)から約50(現在)くらいになりました。

明日は地元のお祭り。
農産物販売担当の私の朝は早いので
今日のところは寝ておきます。
おやすみなさい。

スマホに対応しました

大変長らくお待たせしました。
当ブログが遂にスマホに対応致しました。

PC版との大きな違いですが
スマホ版にはコメント機能が実装されており
コメントの投稿、および閲覧が可能となっております。

PC版でコメントを受け付けると
途端にアハーンな業者や横文字だらけの業者さんたちに
コメント欄を一斉占拠されてしまうので
PC版では相変わらずコメントを受け付けておりませんが
当ブログや記事について何かありましたら
スマホからお気軽にコメントください。

今後ともWonder Laboratoryをよろしくお願い致します。

リンゴアートシール

先日父から頼まれた、袋から外したばかりのリンゴに貼って
日焼けの差で絵を書くシールのデザイン。
締切が迫ってきたので、
とりあえず半分を助手に渡し
もう半分を描くことにした。
ちょっぴりクールな思春期さんであれば

「どうせ食べるんでしょ?
 残らないのになんでそんなリキ入れるの?
 超ホワイトキックー」

(※ホワイトキック=しらける←死語)

とか言っちゃうかもしれないところだが
そうはさせないワンダーラボラトリー。
自己満足で終わらせないために、
完成品をブログで使うことを前提に
デザインを考えてみた。

◆デザイン1.「完」

ブログの最後に使う用。

◆デザイン2.「続」

同じく、ブログの最後に使う用。

◆デザイン3.「所長の顔」

ブログのところどころに使う用。

◆デザイン4.「ブログのロゴ」

ブログ宣伝用。

というわけで、4番に関しては
早急に、即興で作らなければならない。
と、前置きしておきながらなんだが
私はデザインが結構ニガテである。

しかし、ええぃ、そんなこと言ってる場合ではないっ!
デザイン屋の息子として、ここで気張らなければ
誰が誰に投票しても、おんなじや、おんなじやオモテー
我が県のみならずゥワッハッハーン!

DSC_0455

所長と助手

私は人の顔を覚えるのが苦手だが
助手は人の顔を覚えるのが得意である。

私は人の名前を覚えるのが得意だが
助手は人の名前を覚えるのが苦手である。

私は自分の車を停めた場所を覚えるのが苦手なので
いつも助手に引っ張ってもらっている。

助手は自分の目的のモノを見つけると
他のものが見えなくなってしまうので
私が周囲の人への気遣いをしている。

私は部屋の時計の音ですら気になって眠れないが
助手は線路沿いの部屋でも爆睡できる。

私はダイヤモンドゲームが苦手なので
それが得意な助手と対戦する時は
得意のイカサマを使って
馬鹿正直な助手をあっさり負かしてしまう。

助手が歌うと大抵音が外れているので
私が一緒に歌って補正している。

助手はヒラメキに乏しく
私は手先が不器用だが
私がヒラメいたものを
手先が器用な助手が作るとミラクルが生まれる。

私の苦手は助手の得意で
助手の苦手は私の得意。

聴覚優位の所長と視覚優位の助手。
それぞれ個人では並に劣ってしまうけれども
実のところ、二人揃えばサイキョーなのである。


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壮気健全御守

壮気健全御守
出雲大社「平成の大遷宮」

裏の説明によると
これは60年に一度の遷宮を記念し
本殿の屋根に使われているヒノキの皮を使った
健康の御守だそうで

それがどうしたかというと
鳥取へ旅に出た、両親に要求した
「ラクダの肉」の回答に他ならなかった。

この冬に健康損ねて心配かけましたからね。
まぁ、ホントに買ってこられても
動物保護団体からクレーム来そうですし
困るんですけど。

聴覚優位

人間には五感があって、それぞれの感度は人によって異なる。
そのバラつきから認識の差異が生まれ、
それがそのまま個性に繋がってくるようだ。

私の五感が聴覚に偏っていることに気がついたのは、
例の聴覚過敏が発覚する少し前のこと。
私は、ビジネスマナーを学ぶべく、とある講習に参加していた時の話である。

そこでは、見た目の第一印象がいかに重要であるか
ということを検証するために実験が行われた。
具体的には「講師の言葉をよく聞いて言う通りしてください」
との指示があった上で
仕草と言葉を矛盾させる実験である。
(例:「アゴを触ってください」と言って頬を触る)

すると、大抵の人間は視覚を優先するため
講師の仕草を真似してしまうそうで、
実際その会場でも1人を除いて全員が
講師の仕草を真似していたのだが。

ただ1人。
100人近くいた会場で、ただ1人
講師の仕草ではなく、言葉の方を信用した人間がいた。
言うまでも無く、それは私だった。

「稀にこういう方がいらっしゃるんです。
 目よりも耳の優位性が高い方!」

講師は私に詰めよって続けた。

「貴方、人の顔覚えるの苦手でしょう!」

図星だった。

「貴方は音に敏感なはずです。何か心当たりないですか?」

その当時は心当たりは無かった。
しかし、その週の末
私は助手と共にライブへ行き
聴覚過敏を自覚するのであった…。


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両親、鳥取へ行く

今朝、私の両親が鳥取県に向けて車で旅立った。

だからどうした、という話なのだが
どうやら砂丘に行ってラクダに乗る模様。
行きがけに

「お土産はラクダの肉がいいな!」

と、言っておいたのだが
はてさて、何を買ってきてくれるのやら。